私が子どもの頃の話
元夫がDVで朝逃げした時、なぜ今後の流れとか、冷静に考えられたかというと…
DVが元で逃げたことに、1回経験があったからです。
相手は元夫ではありませんでした。
父親でした。
私が物覚えついた幼稚園に通っていた頃、父親は夜勤か何かで仮眠を取ろうとしていたとような気が…。そんな時、何か冗談で父親が言ったことに対し、母がプラスチックの容器の様な物を冗談で投げつけ、当たった途端に…
一瞬で表情が、声が変わりました。
まるで、地獄から悪魔が這い出てきたかのような、怒声に。
何か棒のような物で電灯を割り、血だらけになった手で私らを見下ろす父。
私はそんな父を見るのが初めてだったので、とっさに”もう明日から幼稚園に通えなくなる!!”と感じ、その場にあった幼稚園に持って行っていたカバンと、幼児服を抱え見よう見まねで母親が土下座して謝っているように、私も必死に「ごめんなさい」「許してください」と涙ながらに謝るしかなかったです。
こちらが謝れば謝るほど、ますますエスカレートし、タンスを蹴りタンスの側面はその衝撃で割れていました。
その日を境に、父親に対する見方が変わっていきました。
私は幸いなことに祖父母っ子だったこともあり、別の座敷で寝ていたので気づかなかったのですが…。深夜に母屋で父親の唸り声、ドンドンと何かを叩く音がかすかに聞こえてくる時があり、怖くて耳をふさいで寝たこともありました。
母は結婚当初からDVに悩まされていた様で、最終的には離婚に至りました。
しらふでDVしていたわけではなく、お酒が入ると今まで溜まったストレスが爆発して…という感じだったので、しらふの時にあまり父親をいじると、爆発してからネチネチ説教されたり、威嚇、罵声を浴びせられるのが嫌であまり関わりたくはありませんでした。が、「おいっ!!〇〇!!ちょっと来い!!」と呼びつけられ、正座させられ何時間も説教が始まるのでした…。
”こんな父親が居る家庭、うちだけだ…。他の家庭はこんな父親いない”
もう、いっそのこと死んでしまおうかと、川を眺めて考えていたこともありました。
だけど私一人が自殺したところで、他にも兄弟がいてますます厳しく当たられるかもしれないし、変わることはない、と冷静に思い、とどまりましたが…。
今夜はゆっくり眠れるだろうか…。1週間に1回前後はそんな爆発する不安な夜がありました。家族みんな怖くて怖くて、寝不足になるし…。
(今は何の不安もなく、ゆっくり眠れるので、本当に夢の様です)
近所でも有名でした。でも、時代柄DVという認識はあまり周知されていないのか、率先して助けてくれる人はいませんでした。
私が高校を卒業して、浪人生になった頃からDVはますます激しさを増し、次第に母親に手が出るようになってきました。
命の危険性があり、その頃から母親は市役所へDV相談をしに行くようになった様です。
悲しきかな、居住地の市役所は土地柄かDV相談の対応が甘く、「あなたの態度が悪いんじゃないんですか」と言ってきたり、他の訪庁者と仕切って相談に応じたりすることなくプライベートが保てず肩を落として帰ってくることもありました。
しかし、隣の県・市のDV相談に行った際、迅速かつ部屋を別室に通して話を聞いたりと丁寧に対応してくれた様で、もし逃げることになったら、隣の県に逃げようと思いを固めた様でした。
家を出る1週間~前、友人関係や何か痕跡があると、どんな手を使ってでも連絡を取ろうとするだろうから、と必要な物以外は処分してしまおうということになりました。もちろん父親が不在な時に。
それまで捨てられない性分だった私は、今までにもらった年賀状や、学校でのテスト答案、イラスト…いろんな物を燃やして処分しました。
(それが今の断捨離の第一歩だったかもしれません)
そして、その日がやってきました。
その日は母親と兄弟は外出しており、祖母と私を引き連れ夜の飲み屋街に連れ出されました。夕食を食べよう、と街をウロウロ、何分、何時間歩かされたのでしょうか…。
ラーメン屋に入り、私は喉を通らずあまり食べれず。その間もクドクド説教。
「お前、これから養っていかんぞ」的な事を言われ、プツンと切れたのか「もういい」と言ったのか忘れてしまいましたが、祖母と一緒にタクシーに乗り、自宅へ急いで帰ったのです。飲み屋街に行かされる前に、母には「もう出よう」と連絡してあり、私らが連れまわされている間に自宅に帰り、準備していたので私が帰ってすぐに家を出ました。
その時は不安で不安で、何とか母親と兄弟と命からがら逃げて、シェルターで保護してもらい、離婚調停で離婚できて…。
この一文だけでも数か月かかりました。
父親から逃げても、隣の県だったので見つからないように静かに生活を送って…金銭的に厳しい時もありました。だけど、おびえて不安な夜を送ることを想えば、身を寄せ合ってゆっくり眠れるほうが安心でした。
だから、DV夫から逃げるときも冷静に、次の流れを想像することができました。
こんな思いをする人が一人でも減ってくれれば…と記事にしています。
何かおかしい、と感じたら自分の直観を信じましょう。
自分の人生はあなただけのものです。
自分を大切にできるのも、あなただけです。
ホットラインも各県、各市に用意されているはず。検索してみると出てきます。
頼って相談してみてください。
妊娠・出産前にしておくお金のこと
今回は妊娠・出産前にしておくお金のことについて書いていきます。
お金のこともですが、妊娠がわかって身重になる前にお部屋の整理整頓、断捨離をしていきましょう。
産休に入ってから色々しよう!と思っても、意外に身体が重くて身動きが取りづらく、日々生活するだけでひーひーフーフーなんてことも…。
私の友人は、切迫早産でほとんど入院生活で「産休を満喫できなかった!」と言っていました。出産は何があるかわかりませんからね…。
〇貯蓄
妊娠がわかったら、できるだけ貯蓄をしておきましょう。
産前産後休業や育児休業による給付金は得られますが、フルタイムで勤務していた時に比べて社会保険料免除はあるものの減ってしまうため、できるだけ貯蓄しておいたほうが後々のことを考えると助かります。
給付金があるのなら、生活していけるのでは?と思いがちですが、実際に支給されるのは何か月か後…なんて事実も( ;∀;)
実際に私も出産するまで多少貯蓄していたのですが、夫婦で旅行や外食や好きなことに散財してきたので…( ノД`)
妊婦検診も回数券はあるものの、手出しは多少あります。
たとえ妊娠検査薬で陽性が出ても、超音波検査で妊娠が確定するまでに受診したら3000~5000円くらいかかりますし、予定ではないNST検査をすると1100円プラスされます。
予定日を過ぎたら自己出費で2~3日に1回受診をしたり、NSTを取るたびに1100円払ったり…。必要あって検査されているんでしょうけど…塵も積もれば何とやら…(*_*)
出産一時金も出ますが、差額ベッド代や食事代など実費で支払わなければならないお金があります。
第一子の時は、吸引分娩で医療処置として加算されてましたし、コロナが本格的に流行する前で、個室代はしっかり取られていましたし…。←初産だったので、4人部屋か個室かと言われ、母子同室するなら個室が迷惑かけずいいかなと思っての判断です。
5~6万くらい払ったと思います。
第二子の時は、コロナ対策として当然個室、みたいな対応だったため差額ベッド代は請求されなかったです。
生まれてすぐに気胸になったので、大きな病院へ搬送され医療費は別途かかりました。
助産院は数千円、搬送先の病院は2万くらいでしたかね…。
住んでいた市が、中学校卒業まで医療費無料の制度があったため、少しの手出しで済みました。
退院後はオムツ代、ミルク代など出費がかさみます。
オムツはちょくちょく交換します。1回出たら替える、くらい(笑)
第一子の時に数えてみたら、1か月で(新生児期)500~600枚使用していました。
90枚入り1袋のオムツでも、6~7袋使った計算になりますね"(-""-)"
さらに、新生児用のオムツは2~3か月くらいまで使用するため、まだまだ必要です。
1袋1500円前後くらいはします。
私の助産院では、母乳育児推進のところでしたので地獄のおっぱい合宿のごとく、産後は退院するまで鍛えられました(笑)
そのおかげがあって母乳でやってこれましたが、ミルクも時々外出時などに使用していました。
ミルクも缶で購入しても1缶2000円くらいかかります。
1か月でどのくらいかかるのでしょうかね…。
オムツとミルク代だけでもこれだけかかるのに、さらにおしり拭きや、哺乳瓶、哺乳瓶の消毒液、オムツ袋、ごみ袋等々…たくさんお金がかかります。
〇出産するまでに、ふるさと納税をしておこう
収入が165万以上ある方は、ふるさと納税をしておいた方が、翌年の住民税を支払う際に楽です。
前もって住民税を支払っておく+2000円で好きな返礼品を頂く様なものです。
住民税は前年度の所得に応じて翌年支払いを請求されるため、妊娠がわかり12月まで働いていて、翌年出産、なんて方はしておいた方が絶対に良いです。
翌年フルで働いていた前年度の住民税の請求書がくるので、育児休業給付金だけでは賄いきれない~(*_*)となることが多少減ります。
私も、第二子の時に住民税を緩和させるために、ふるさと納税しました!
他にも、iDeCoや生命保険控除など利用できるものは利用して、できるだけ税負担を軽くしていきましょう!
出産後は…?
出産後は年末調整などで、書面上ですが旦那さんの扶養に入るといいかもしれません。
出産時にかかった医療費や、生計を一にする家族の医療費を合わせて医療費控除、生命保険控除、iDeCo、寄付金控除(ふるさと納税など)など、確定申告を行うと、払いすぎていた税金が返還されるので、確定申告するのをおススメします。
最近、自宅にいながらイータックスで確定申告ができるので、便利になりました。
確定申告会場に行かずして申告ができるのは良いですね('ω')
あと、2023年までですがジュニアNISAもおススメします。
証券会社はたくさんありますが、個人的には楽天証券か、SBI証券が良いと思います。
楽天証券は楽天銀行が0歳から開設できるので、証券会社と連携でき、楽天証券アプリが使いやすくて好きです(^_-)-☆すぐにチャートが見れて、注文しやすい!
自分の保有している株が見やすくて良いです。
ただ、外国株式が購入できないのが残念な所だな~と思います。
その点、SBI証券は外国株式が注文できます。が、連携するSBI新生銀行は未成年は口座を開設できず…。仕方なく別銀行で開設、という堂々巡りをしてました*1
どこを開けば自分の資産があって、どのくらい増えているのか…わかるまでに時間がかかりました(*´з`)今でもよくわからない…。とにかくボタンが多すぎてよくわかりません(笑)
外国株式は注文しないよ★という方は楽天証券が使いやすくていいかもしれませんね。
好みの証券会社で開設してくださいね~。
*1:+_+
ブラック病院
私が以前働いていた病院について🏥
新人として、働き始め比較する対象もなく、石の上にも三年と言われる社会なので、何の疑いもなく嫁ぎ先の市にある病院で働き始めました。
一応県立の病院だったため、県職員として働いてました。
見学にも行ったのですが、学生の時に見学に行っても何に注目して見ればいいのかわかりませんよね😅
今なら、見る視点がわかりますが…。
🌼まず、中堅の看護師の少なさ
若手と40〜50、60歳が多く間の層がない場合は注意です⚠
年齢だけで見たらいけないかもしれませんが😅
中堅がいない→仕事が辛くて辞めていく、役割が多くて辞める等など…。
🌼毎年求人をかけている病院も注意です⚠
それだけ、毎年辞めていくのです😢
見学の際には昨年度、退職された人数や理由を聞いてみるのもいいかもしれませんね。
🌼掃除が行き届いているか
外注で掃除のスタッフが入っている場合と、病院スタッフでされている場合とあります。
パッと見た目は行き届いていても、倉庫や汚物処理室、休憩室など内側が汚れていたりすることも…。
そこまで手が回っていない→ブラックである可能性も…。
🌼福利厚生はどうか
私が勤めていた県立の病院は、お給料は少なめでした。
県立だからさぞかし良いお給料だろうと思いがちですが…残念ながら😢
しかも、通勤で使う車を停めておく駐車場は個人で契約して自費(笑)←確か駐車場代は3000円〜4000円くらい
通勤手当は月2000円(笑)
片道5キロはあったと思いますが…😅
🌼勤務体系はどうか?
週休二日制、とあっても完全に2日間フリーで休めるわけではありません。
3交替でしたが、1週間の勤務を例に上げると…
日勤・日勤・日勤・深夜・明け・準夜・休み
深夜…昼間は夜勤に備えて仮眠。日付が変わる頃に出勤し、夜勤をします。
明け…朝8時半〜9時に仕事が終わりますが、記録が残っていればそれ以降にずれ込みます。
準夜…夕方から日付が変わるまで夜勤。深夜勤務者にバトンタッチします。
休み…準夜終わってから、自宅に帰りその日1日はお休みです。休みという名の休憩みたいなもんです(笑)
どうですか??
週休二日制の勤務です。
休みなんて、フリーじゃないです。
夜勤が絡んだ休み😱
連休なんざ、1ヶ月に1回あるかないかです。
看護師がいかに過酷かわかりますか?
ちなみに、看護体制7対1とかで加算を取っていたので休みが少なかったのかも。
病院側にとっては加算がもらえるので、メリットはありますが看護師側からしたら何のメリットもないです。
むしろ人員配置をしないといけないので、休みを削られる&欠員が出れば休みだろうと駆り出されます😭
見学の際は、自分が働くであろう科や、病棟の勤務表を見せてもらうと良いかもしれません。
🌼看護方式は何か
前の病院では、固定チームナーシングでした。
自己完結型監護と言われるものです。
1人で5〜6人の患者を検温したり、記録を書いたりしていました。
新人ながら、患者さんの異常を見抜くのが難しく、適宜先輩に相談に行ったりしてました。
今の病院はパートナーシップナーシングで、2人で1人の患者を看ます(日々の受け持ち患者の人数は増えますが…)。
実践役(検温したり、処置したり)と記録役(主に記録を書きます)に分かれてますが、二人で看るので、異常の早期発見や連携ができます✨
何より安心感があります。何かあれば相談できるので😌
前の病院では、患者さんに挙がっている看護問題をすべて日々の記録として書かなければなりませんでした🤣
#転倒リスク状態
#身体損傷リスク状態
#皮膚
#
…同じ内容を書かなければならない問題も、SOAPで(笑)
毎日皮膚の問題とか、変わりないのに書く??
ドレッシング材を毎日めくる手間とリスクは?となるような…😱
日勤で4〜5人患者さんを受け持つと、5個ずつ問題が挙がっているとして20個近く記録しないといけませんでした💦
ちなみに今の病院では、その日特に変わったことがなければ記録はしません。
主病名の記録は変わりなくてもしますが…。
🌼有休消化率
ホームページとか、見学会では良い部分だけ見えるようになっているので(笑)
実際に働いている方にお話を聞いてみるのが1番かなと。
前の病院、有休はありましたが師長さんが「有休なんて、自分の休みたい時に使う制度じゃないんだからね。希望する日にそのまま使えるわけじゃない」なんて発言してました(笑)
え?
じゃあ有休は何のための制度?
退職する際に、換金や利用も出来ないみたいです😂
何この制度。私は理由が理由だったのか、使わせて頂きましたが転職される先輩などは、月末きっかりまで日勤とか勤務がついていて…😣😱😅
信じられません💦
そして私の実父が亡くなった際も、実親の場合5日だか1週間だか忌引を頂けるみたいですが、実父とは別居し訳ありだったので、師長に「まあそこまで…」なんて返事をしたもんなら、
亡くなった日が準夜→明け→元々の休み→お葬式で休み→日勤?!→元々の休み→日勤だったか準夜…
いやいやいや…😅
もうね、あげだしたらきりがないくらい。
インシデントレポートは、点滴自己抜去の度に書かなきゃいけなかったり…
認知症の高齢者、1勤務に2〜3回くらい点滴抜くよ😂
インシデントレポート書けば、誰がインシデント起こしたのか犯人探し、悪かったことが責められる悪循環…🌀
ろくなことがなかったです(笑)
家に帰ればDV、メンヘラ夫が居る🤣
職場はブラック🥵
居場所なし(笑)
無理してその病院で働く理由なんてなかったです。
転職、離婚して人生変わります✨
退職後にしておけばよかったこと~雇用保険~
退職後、次の就職はあまりすぐにはしたくないな~と考えていました。
以前の病院はブラックのブラックで、看護師というだけでもハード勤務なのに連休なんて1か月に1回あるかないかくらいでした。
久々に長期の休暇(というか、無職)で、ゆっくり羽を伸ばしたかったのです。
まだ離婚もできていませんしね。
しかし、日を追うごとに資金面で心配することに…。
今思えばお金の知識があれば手続きなどできたでしょうけど…。
しておけばよかったなと思うことは、失業保険の申請です。
雇用保険について説明しておきます。
雇用保険とは、労働者が失業した場合などに必要な給付を行ったり、再就職を援助する制度です。
給付内容としては
〇基本手当(求職者給付)
〇就職促進給付
〇雇用継続給付
〇育児休業給付 があります。
その中の基本手当(求職者給付)が失業保険と呼ばれているもので、失業者に対して給付されるものです。
基本手当を受けるためには居住地のハローワークへ行き、離職票を提出、求職の申し込みをします。
求職の申し込みを行った日から7日間は支給されませんが…。
私の場合、自己都合退職なので7日間の待期期間+3か月の給付制限がかかりますが、求職している間の90~150日(被保険者期間により異なる)給付されます!
どのくらい支払われるかというと、離職前の6か月間の賃金日額(離職前の6か月に支払われた賃金総額÷180日)の45~80%が支給される様です。
というと、例えば1か月に総額25万くらいもらっていたとすると、
25万×6か月=150万
150万÷180日=8333円/1日あたり
45~80%にすると、75000~135000円くらいでしょうか。
まったく無収入より、支払われるのは無職になってから3か月以降だとしても、多少生活の足しになりますね。
しかし、だれでも受給できるのかと言われると、要件があるようです。
離職前の2年間に被保険者期間が通算12か月以上あること。
倒産、解雇などの場合には離職前の1年間に被保険者期間が通算6か月以上あれば受給できます。
勤めてすぐに辞めていった同期の子は受給できない様です(笑)
石の上にも3年とよく言われましたが、3年までいなくてもとりあえず良さそうですね。
その仕組みを知らなかった私は、貯金を切り崩しながら生活をしていたのですが、底が見え始める前にヤバいと感じ、就活し始めました。
ハローワークには行ってなく、むしろハローワークを活用したらいいのに、なぜか職に困って途方にくれた人が行く場所、と偏見を持っていたため行かなかったです。
今思えば偏見のせいで、勿体ないことをしたなと思います( ;∀;)
結局3か月後には就職していたので、失業保険を受けなくても給料を新しい職場から頂けていたので良かったです(笑)
これから転職や退職される方は、こんな制度があることを知って、ぜひご活用ください。
雇用保険には教育訓練給付もあるので、看護師など専門的な資格を取ったりする際に、金銭的な援助を受けられる可能性もあるため、ハローワークに相談に行かれてもいいかもしれませんね(*^▽^*)
シェルターから独立後の生活
シェルターに入って2週間後、次に暮らし始める土地での新たな生活が始まりました。
まず、最初に携帯電話2台目を登録しに行きました。
以前使っていた番号のままだと、相手から何度も連絡がくるためです。着信拒否にしていても、GPSなどで特定される場合があるため、極力電源を落として使用していました。新しい番号で家族、友人に周知しSNSやLINEなども変更する必要があります。
思わぬところから番号や情報が漏れることがあるため、DV夫と関わりのある友人・知人関係との連絡を絶ちました。
さみしい気もしましたが、DV夫が住んでいた地域は田舎の閉鎖的な空気が流れているような場所だったので(私が住んでいるところもそうかもしれませんが、もっと)、ちょっと馴染みにくっかったため逆に良かったのかもしれません。
あと、車のナンバープレートを替えました。
自動車協会に行けば変更できます。
番号がそのままだと、特定される場合があります。車も車種を替えた方が良いかもしれませんが、なんせお金がかかるため(笑)
デコレーションやぬいぐるみ、クッションなど置いておられる場合は一掃して替えた方が良いです。特定されにくいようにしないと、せっかく逃げてきたのに努力が水の泡になります。
シェルターを出る前に、裁判所へ行き、DV法に基づいた接近禁止令など適応できるか判断してもらい、確か許可されたかなんかで、警察へ情報提供がされた様な気がします(定かでなくて申し訳ないですが…)。
新たな地での警察からも連絡が来て、情報提供を求められるため30分~1時間くらいお話をしに警察署へも行きました。
その際に電話番号を登録し、登録した電話番号から警察へ連絡すると、GPSで場所がわかりすぐに現場に駆けつけてくれる、というシステムがある様です。
職場は自己退職という形になりましたが、有休が残っていたため(仕事している時には使用できなかった名ばかりの有休)、区切りの良いところまで使用しました。
退職金も一応出ましたが、5年間看護師として勤めて、60万。
県職員扱いになりますが、この金額…少ないのやら多いのやら。
一応生活の足しにはなりました。
それから、無職の生活。
今思えば、ハローワークに行って職に就くまでの間、給付金でも申請しておけばよかった…と後悔しましたが( ;∀;)
給付金が出るのは、自己退職の場合3か月後からみたいなので、3か月後には新たな職場に就職していたため結局出ていなかったかも。
また、この制度については記事にまとめたいと思います。
久々に仕事にとらわれない生活が送れるようになり、最初の頃は友人と旅行に出かけたり、一人旅に出たりしていました。
一人旅、したことがなかったのですが案外してみると楽しい!
自分で行きたいところを決めて、自家用車で行ったり。
食事時はちょっとさみしいかな、なんて思いましたが意外と一人でもお店に入れたり。
今ではそんな旅行も行けなくなってしまいましたが、良い経験になりました✨
シェルターから独立するまで
弁護士さんが決まり、DV夫に今までされてきたことを箇条書きにし、離婚に向けてのやり取りがスタートしました。
箇条書きにする際に、日記などつけておくと何年の何月何日、何時に何をされたのか、言われたのかなどが明確に記載できるため、記録をつけておくと良いです。相手に見つからない方法で記録に残しておくのがベストです!(日記など盗み見する相手だと危険です(*_*))
録音機で、暴言や暴力の様子など記録しておく、という手もありますがなかなか難しい方法だと思うので…。
何度か弁護士さんよりDV夫にアプローチして頂いたのですが、初めはなかなか離婚に対して納得しない(笑)もちろんですよね。
というか、頭の中が幼稚すぎて話が通じなかったようです(笑)
どうしたら私が帰ってくるのか、離婚はしたくない、自分は悪くない。謝るからもう一度やり直したい等々…。
今までに何度も聞いたような言い訳ばかりを並べていた様です。
シェルターに入っている間に、外出している数十分(車を走らせている間など)は携帯電話を返してもらえて、電源を入れることができました。
久々に電源を入れると、着信履歴が数十件…メールも何十件…。
見るのが嫌になるくらい来ていました。
メールもSNS(その当時はフェイスブックくらいしかなかった)を通じてのメッセンジャーを駆使してきてましたし、あの手この手で連絡を取ろうとしていたのがわかりました*1
後でわかったことですが、私の家族にも連絡を取り、どこにいるのか知っているか、知っていたら教えてほしい、何とかやり直したい等々しつこく話していた様です。実際に家まで訪ねてきたとか( ;∀;)こわ…。
仕事場の上司にも避難する1か月前~2か月前くらいに相談していました。
結局その時は真面目に取り合ってもらえず、「長年暮らしていたら良くなっていくから」「そんなに執着されているんだったら、愛されてるってことだわ」的なことを言われ終了(笑)
シェルターに行く前に電話し、詳細を伝えしばらく連絡ができなくなることや、仕事に出られないことを伝えました。が、あまりはっきりと理解できなかったようで、「日勤には出られないのか」とか「数日勤務はできないのか」と言われました…。
経験のない方にはにはDV被害→シェルターに入る→しばらく外の世界に出られない、というのが理解できないのかもしれませんね。
そんなことと同時進行に、シェルターから出て次の住む場所や現在の仕事場をどうするのかなどを決めていかないといけませんでした。
私は、その地に何の未練もなかったため、別の場所へ引っ越すことに決めました。
アパートの見学、仕事場の退職手続き、生活家電の購入など、職員さんと一緒に着々と準備を進めていきました。
金銭的な部分は、多少県からの補助金を頂けました。2~3万くらいだったかな?と思いますが…。それでも一人暮らしを始めようと思うと全然足りませんよね( ;∀;)
夫婦別の貯蓄をしていて良かったなと思います(職場の天引き貯蓄は私の財産とみなされ、相手と折半となりませんでしたので…)
家に残っている自分の荷物などは、シェルターを出てから弁護士さん立ち合いの元、取りに行きました(自家用車を使用するのはナンバーや車種を覚えられたら困るため、レンタカーを使用して行きました)。完全には回収できないため、多少の漫画や本などは見捨てて…。そのことが、現在の私の断捨離の基礎になりました。
シェルターにいる間、職員さんにお願いしてコンビニスイーツを買ってきてもらったり、職員さんが得意なお好み焼きを作ってもらったり、一緒に近場を散歩したり、文庫本を貸してもらったり…あたたかい時間も経験させてもらいました。
人とのつながりって大切だなあと感じた一面です。
私が2週間くらいでシェルターを独立したことに、職員さんは驚いておられました。
あまり短期間で独立される方はいないようです。
早ければいいわけではありませんが、私としては早く外の世界に出たかったのと、早く離婚して新しい人生を生きなおしたかったので。
出るときは職員皆さんが見送ってくださいました。
後ろ髪ひかれる思いでしたが、ここからが新しい自分の人生だと思うとワクワクしました。
本当にその時の職員さんにはお世話になりました。
シェルターでの2週間は短いようで長いような、そんな日々で、激動の日々でした。
シェルターを出てからの生活は次回の記事で書いていくこととします('ω')
*1:+_+
シェルターでの生活
深夜明けにシェルターにて保護され、その当日。
シェルターはアパートみたいな感じで、和室の部屋に玄関、浴室、トイレがあり十分生活ができる状況でした。洗濯物も他の部屋に洗濯機があり、無料で使用でき、洗剤は無料で提供されました。
食事や生活用品、服なども希望があれば購入してもらえて、提供して頂きました。
逃げてから、相手や家族はどうなっただろうとドキドキです。
その日のうちに、警察の方が来られ聞き取りがありました。
相手方より捜索願が出る可能性があるため、捜索しないでほしい事の報告、DV加害者ですと申請しておくためです。
シェルターの職員の方が、「詳しく根ほり葉ほり聞かれる可能性があるので、同席しましょうか?話したくないことは話さなくても結構ですよ」と言ってくださったのですが、私は隠すこともなかったので、されたこと等全部情報提供しました。
1時間くらいだったでしょうかね。
それからは携帯電話もないため、備え付けのテレビを上の空で見ながら、
”ああ…本当に家を出たんだ。もう後戻りはできない。自分の人生をもう一度生きよう”と心に決めました。
翌日は心理士さんとお話したり、DV担当の職員の方と今後の計画についてお話していきました。
平日はDV担当の職員の方が訪ねて来て下さり、相手の行動や警察に捜索願が出されたことなど、状況を逐一教えてくれました。
逆に土日、祝日は公的なの機関がお休みになるため、DV担当の職員さんは来ず、状況も前に進まないためやきもきすることがありました。なんせ、気を紛らわす携帯電話やネット環境がないため、テレビをみるか、職員さん私用の文庫本を借りて読書をするか寝るかして時間をつぶすしかないのです。
DV夫と直接会って離婚の話をするのは絶対に無理です。
DV担当の職員さんと相談し、弁護士さんへ相談しに行くことになりました。
法テラスでは、無料で相談を受け付けておられるので、弁護士さんに相談したいことがあれば利用してみてもいいかもしれません。
実際に、弁護士さんと対面でDV相談をさせてもらい、相手方にこれまでされたこと、資産分布、慰謝料請求についてなど説明を受けました。
弁護士さんを雇って離婚請求を行う、第三者に間に立ってもらい離婚をすることを協議離婚といい、それでも埒が明かない場合は、家庭裁判所で裁判という形になることも。
私の場合は、協議離婚でなんとか決着がつきましたが、なかなか相手の理解が進まず(理解力が悪く)裁判になるのでは?と内心冷や冷やしていました。
DV被害者が金銭的に厳しい場合は、経済状況に見合った料金で弁護士を選定し、協議を進めていくことができますが、始めるまでに1~2か月くらい時間を要するようです。
早く離婚を進めたい!弁護士さんに間に立ってもらいたい!金銭的に多少余裕のある方は、希望の弁護士さんを雇い協議を進めていっても良いと思います。
私も金銭的に余裕はなかったのですが、早く話を進めてもらいたかったので、男性の弁護士を雇い(DV夫から見て、女性の弁護士だと訴えや暴言などでねじ伏せられてしまいそうな気がしたため)20~30万くらいで協議離婚させてもらいました。
後でDV夫に30万くらい慰謝料をもらいましたので、チャラみたいなものですが…。
結局、6か月後に離婚が成立しました。
6か月間、長かった気がします…。相手の理解力が乏しく、弁護士さんも手を焼いていたみたいです(笑)
また、詳しく書いていこうと思います(*'ω'*)