生きてりゃ何とかなる

バツイチ看護師。再婚し2歳、0歳児の子育て中。前夫がDVで離婚した話や、子育て中のママに有利な情報を載せていきます!

私が子どもの頃の話

元夫がDVで朝逃げした時、なぜ今後の流れとか、冷静に考えられたかというと…

DVが元で逃げたことに、1回経験があったからです。

相手は元夫ではありませんでした。

父親でした。

 

 

私が物覚えついた幼稚園に通っていた頃、父親は夜勤か何かで仮眠を取ろうとしていたとような気が…。そんな時、何か冗談で父親が言ったことに対し、母がプラスチックの容器の様な物を冗談で投げつけ、当たった途端に…

一瞬で表情が、声が変わりました。

まるで、地獄から悪魔が這い出てきたかのような、怒声に。

何か棒のような物で電灯を割り、血だらけになった手で私らを見下ろす父。

私はそんな父を見るのが初めてだったので、とっさに”もう明日から幼稚園に通えなくなる!!”と感じ、その場にあった幼稚園に持って行っていたカバンと、幼児服を抱え見よう見まねで母親が土下座して謝っているように、私も必死に「ごめんなさい」「許してください」と涙ながらに謝るしかなかったです。

こちらが謝れば謝るほど、ますますエスカレートし、タンスを蹴りタンスの側面はその衝撃で割れていました。

 

その日を境に、父親に対する見方が変わっていきました。

私は幸いなことに祖父母っ子だったこともあり、別の座敷で寝ていたので気づかなかったのですが…。深夜に母屋で父親の唸り声、ドンドンと何かを叩く音がかすかに聞こえてくる時があり、怖くて耳をふさいで寝たこともありました。

 

母は結婚当初からDVに悩まされていた様で、最終的には離婚に至りました。

しらふでDVしていたわけではなく、お酒が入ると今まで溜まったストレスが爆発して…という感じだったので、しらふの時にあまり父親をいじると、爆発してからネチネチ説教されたり、威嚇、罵声を浴びせられるのが嫌であまり関わりたくはありませんでした。が、「おいっ!!〇〇!!ちょっと来い!!」と呼びつけられ、正座させられ何時間も説教が始まるのでした…。

 

 

”こんな父親が居る家庭、うちだけだ…。他の家庭はこんな父親いない”

もう、いっそのこと死んでしまおうかと、川を眺めて考えていたこともありました。

だけど私一人が自殺したところで、他にも兄弟がいてますます厳しく当たられるかもしれないし、変わることはない、と冷静に思い、とどまりましたが…。

今夜はゆっくり眠れるだろうか…。1週間に1回前後はそんな爆発する不安な夜がありました。家族みんな怖くて怖くて、寝不足になるし…。

(今は何の不安もなく、ゆっくり眠れるので、本当に夢の様です)

近所でも有名でした。でも、時代柄DVという認識はあまり周知されていないのか、率先して助けてくれる人はいませんでした。

 

私が高校を卒業して、浪人生になった頃からDVはますます激しさを増し、次第に母親に手が出るようになってきました。

命の危険性があり、その頃から母親は市役所へDV相談をしに行くようになった様です。

悲しきかな、居住地の市役所は土地柄かDV相談の対応が甘く、「あなたの態度が悪いんじゃないんですか」と言ってきたり、他の訪庁者と仕切って相談に応じたりすることなくプライベートが保てず肩を落として帰ってくることもありました。

しかし、隣の県・市のDV相談に行った際、迅速かつ部屋を別室に通して話を聞いたりと丁寧に対応してくれた様で、もし逃げることになったら、隣の県に逃げようと思いを固めた様でした。

 

家を出る1週間~前、友人関係や何か痕跡があると、どんな手を使ってでも連絡を取ろうとするだろうから、と必要な物以外は処分してしまおうということになりました。もちろん父親が不在な時に。

それまで捨てられない性分だった私は、今までにもらった年賀状や、学校でのテスト答案、イラスト…いろんな物を燃やして処分しました。

(それが今の断捨離の第一歩だったかもしれません)

 

そして、その日がやってきました。

その日は母親と兄弟は外出しており、祖母と私を引き連れ夜の飲み屋街に連れ出されました。夕食を食べよう、と街をウロウロ、何分、何時間歩かされたのでしょうか…。

ラーメン屋に入り、私は喉を通らずあまり食べれず。その間もクドクド説教。

「お前、これから養っていかんぞ」的な事を言われ、プツンと切れたのか「もういい」と言ったのか忘れてしまいましたが、祖母と一緒にタクシーに乗り、自宅へ急いで帰ったのです。飲み屋街に行かされる前に、母には「もう出よう」と連絡してあり、私らが連れまわされている間に自宅に帰り、準備していたので私が帰ってすぐに家を出ました。

 

 

その時は不安で不安で、何とか母親と兄弟と命からがら逃げて、シェルターで保護してもらい、離婚調停で離婚できて…。

この一文だけでも数か月かかりました。

父親から逃げても、隣の県だったので見つからないように静かに生活を送って…金銭的に厳しい時もありました。だけど、おびえて不安な夜を送ることを想えば、身を寄せ合ってゆっくり眠れるほうが安心でした。

 

だから、DV夫から逃げるときも冷静に、次の流れを想像することができました。

 

こんな思いをする人が一人でも減ってくれれば…と記事にしています。

何かおかしい、と感じたら自分の直観を信じましょう。

自分の人生はあなただけのものです。

自分を大切にできるのも、あなただけです。

ホットラインも各県、各市に用意されているはず。検索してみると出てきます。

頼って相談してみてください。