シェルターから独立するまで
弁護士さんが決まり、DV夫に今までされてきたことを箇条書きにし、離婚に向けてのやり取りがスタートしました。
箇条書きにする際に、日記などつけておくと何年の何月何日、何時に何をされたのか、言われたのかなどが明確に記載できるため、記録をつけておくと良いです。相手に見つからない方法で記録に残しておくのがベストです!(日記など盗み見する相手だと危険です(*_*))
録音機で、暴言や暴力の様子など記録しておく、という手もありますがなかなか難しい方法だと思うので…。
何度か弁護士さんよりDV夫にアプローチして頂いたのですが、初めはなかなか離婚に対して納得しない(笑)もちろんですよね。
というか、頭の中が幼稚すぎて話が通じなかったようです(笑)
どうしたら私が帰ってくるのか、離婚はしたくない、自分は悪くない。謝るからもう一度やり直したい等々…。
今までに何度も聞いたような言い訳ばかりを並べていた様です。
シェルターに入っている間に、外出している数十分(車を走らせている間など)は携帯電話を返してもらえて、電源を入れることができました。
久々に電源を入れると、着信履歴が数十件…メールも何十件…。
見るのが嫌になるくらい来ていました。
メールもSNS(その当時はフェイスブックくらいしかなかった)を通じてのメッセンジャーを駆使してきてましたし、あの手この手で連絡を取ろうとしていたのがわかりました*1
後でわかったことですが、私の家族にも連絡を取り、どこにいるのか知っているか、知っていたら教えてほしい、何とかやり直したい等々しつこく話していた様です。実際に家まで訪ねてきたとか( ;∀;)こわ…。
仕事場の上司にも避難する1か月前~2か月前くらいに相談していました。
結局その時は真面目に取り合ってもらえず、「長年暮らしていたら良くなっていくから」「そんなに執着されているんだったら、愛されてるってことだわ」的なことを言われ終了(笑)
シェルターに行く前に電話し、詳細を伝えしばらく連絡ができなくなることや、仕事に出られないことを伝えました。が、あまりはっきりと理解できなかったようで、「日勤には出られないのか」とか「数日勤務はできないのか」と言われました…。
経験のない方にはにはDV被害→シェルターに入る→しばらく外の世界に出られない、というのが理解できないのかもしれませんね。
そんなことと同時進行に、シェルターから出て次の住む場所や現在の仕事場をどうするのかなどを決めていかないといけませんでした。
私は、その地に何の未練もなかったため、別の場所へ引っ越すことに決めました。
アパートの見学、仕事場の退職手続き、生活家電の購入など、職員さんと一緒に着々と準備を進めていきました。
金銭的な部分は、多少県からの補助金を頂けました。2~3万くらいだったかな?と思いますが…。それでも一人暮らしを始めようと思うと全然足りませんよね( ;∀;)
夫婦別の貯蓄をしていて良かったなと思います(職場の天引き貯蓄は私の財産とみなされ、相手と折半となりませんでしたので…)
家に残っている自分の荷物などは、シェルターを出てから弁護士さん立ち合いの元、取りに行きました(自家用車を使用するのはナンバーや車種を覚えられたら困るため、レンタカーを使用して行きました)。完全には回収できないため、多少の漫画や本などは見捨てて…。そのことが、現在の私の断捨離の基礎になりました。
シェルターにいる間、職員さんにお願いしてコンビニスイーツを買ってきてもらったり、職員さんが得意なお好み焼きを作ってもらったり、一緒に近場を散歩したり、文庫本を貸してもらったり…あたたかい時間も経験させてもらいました。
人とのつながりって大切だなあと感じた一面です。
私が2週間くらいでシェルターを独立したことに、職員さんは驚いておられました。
あまり短期間で独立される方はいないようです。
早ければいいわけではありませんが、私としては早く外の世界に出たかったのと、早く離婚して新しい人生を生きなおしたかったので。
出るときは職員皆さんが見送ってくださいました。
後ろ髪ひかれる思いでしたが、ここからが新しい自分の人生だと思うとワクワクしました。
本当にその時の職員さんにはお世話になりました。
シェルターでの2週間は短いようで長いような、そんな日々で、激動の日々でした。
シェルターを出てからの生活は次回の記事で書いていくこととします('ω')
*1:+_+